野球編(その②

初回の続きでございます←


野球を始めようと思ったのは、

前回の記事にも少し書いて居た

掛布雅之さんという

プロ野球選手の影響です。


今の若い方の掛布さんのイメージは

松村邦洋さんの

モノマネレパートリーの1人、、

甲高い声を出して話す人

というものかと思いますが、、


現役時代は全てがカッコ良かった。

いや、顔は決してイケメン、、の

部類には入らないけど、

野球に対する真摯な姿勢、

泥臭いけど全力の守備、

芸術的なホームラン、、

スーパースターというのは

この人の為にある言葉なんだと

そう思ってまして、、


まあ、自分があれこれ言うより。

あの、松井秀喜氏も憧れていた。

それだけ凄い選手だったと言うこと。


4番・サード・掛布

ってアナウンスがあって

バッターボックスに入る瞬間。

あれはホンマにカッコよかったなあ。


と、自分もそんな風に

掛布さんになりきりたかったから

野球をはじめて、、

チーム内でも、4番・サード、になるのが、少年野球、中高時代の自分の目標でした。

まあ、実際は全然理想とは程遠いもの

でしたが、、。


ワタクシは、、

フライを取るのが苦手だったので

ございます。


勿論、サードを希望したので、

最初に練習で守らせてもらったが、、

自分で言うのも何やが

肩は小学生にしてはかなり強かった。ゴロを取る時のグラブさばきも、褒めてもらえた。

しかし、、


フライが上手く取れないのは

野手としては致命傷。

詳しく言えば、ボールが落ちてくる

場所に素早く行けなかった。


「フライ取れないならサードは無理やぞ。とりあえず肩は良さそうやから明日からは投手の練習でもやっとけ」


練習初日に監督さんにそう言われて、、


その時、悲しくなって

監督さんやチームメイトの前で

号泣しましたね。

掛布さんになれへんのや、、って思って。人生最初の挫折でした。


だから、投手になれって言われた時

周りからはすげえな、って散々言われたけど、最初は全然嬉しくなかった。


それが急に嬉しくなったのは


「お前、投手になって上手くなってプロに入れば、掛布と対戦出来るかもしれんぞ」


って、オヤジから言われてからでしたw


よし、掛布さんと対戦できる様になる日まで頑張ろう。

絶対にプロに入ろう。


まあ、今にしてみれば笑い話ですが

当時は真剣にそう思ってストイックに

練習に取り組みました、、


続きはまた次回←

選手ファーストとは?

おは←


予定を変更して、最近後を絶たない

スポーツ界の悪しき、、体質について。


レスリング、アメフト、ボクシング、、

今回の宮川さんの件。


全てに共通して言える事は、、


選手は指導者の言いなりで当たり前。

たかが選手、、


そういう潜在意識が、指導者の中にあるという事なんだろうなと。


栄氏も、内田氏や井上氏も、

山根氏も、今回の速見氏や塚原夫婦も。


そして、その思考は彼らだけでなく

ほぼ全ての指導者に当たり前の様に

共通している価値観であるということ。


それが1番の問題かなあと。

それが消えない限り、体罰的な

指導が無くなる事もありえない。


自分が野球をやって居た頃、

高校を何処にするか、という件で

中学の指導者と面談した時


●●校の野球部監督はオレの●●やから

そこへ行け。

先方にはオレから話しておく。


って。


何でアンタがそれ決めるの。

それに(建て前上)受験もあるのに行けるかどうかとかわかんねーじゃん。

自分の進路は自分で決めるわ。


と、結局そこには行かなかったけど、、同じ樣な案件は恐らくは全国に腐るほどあって。そうやって指導者の思いひとつで進路を決められて、そこにこちらの意思は反映されず、指導者の思うがまま。


体罰もそうやけど、こういうことひとつから改まっていかないと、先述の様な問題は後を絶たないよね。


ホンマの意味での選手ファーストって何なのか。

まずは選手の意思が尊重される体制がある事はないか。

(何でもかんでも選手の言う通りにすれば良い訳ではなく、まずは、選手自身がどうしたいのか、を、指導者側が傾聴尊重した上で、指導者の見解も踏まえて全てを決める樣にしないと、という話)


今回は以上です。

はじめましての自己紹介(野球編①

どうも。


ツイッターに長年生息し過ぎると、目にしたくないものも目に入りすぎて精神衛生上よくないので、自分の世界観に引きこもりメンタル安定させる為にここに居場所を作る事にしました。


アイドル関連の事は別に書いて居るので、ここではそれ以外の趣味や日常の事などを、、。


まずは、一部のアイドルちゃんからリクエスト?があった、野球について、、。


ワタクシは、小中高ずっと野球をやっておりました。少年野球からシニアリーグ、部活、、を合わせて大体11年近く、、。


プロ野球選手になりたかったのです。


小さい頃の憧れの選手、、掛布雅之さんの真似事をして、左打ちにチャレンジしたり、守備についてる時にグラウンドの土を手ですくって舐めて見たり

(わかる人にはわかるw)気持ちだけはスターになりきって、、


ましたが、まあ練習は嫌いでした。


というか、上手くなるために、自分やチームメイトと考えて取り組む練習そのものは凄く頑張ってましたw。先輩や指導者から軍隊式に強制的にやらされる「練習もどき」が大嫌いだったのです。今もそうですが、当時から他人から理由も意味もなくマウント取られるのが大嫌いだったのですねw


同級生が1人練習に遅刻したら連帯責任で同級生全員居残り練習、、なんてのはまだマシな方で、靴の脱ぎ方が気に入らない、歩き方が舐めてる、髪型がカッコつけ過ぎてる、、と、毎日の様にことごとく体罰からのしごき、、今考えても実に理不尽極まりないです←


それと、自慢みたいだから余り言いたくない(ホンマは言いたいw)が、特に小中時代、メインのポジションが投手だから目立ってたし、当時はそこそこモテてたのでw奇跡的に女の子から手紙貰ったりとかも幾度かあり、、ある時、それを先輩達から見つけられ呼び出され、先輩のリーダー格の輩から、今日から女断ちして勝つ事だけ考えろ、今からオレがお前の根性を叩き直す、とか言われ、封も開けていない手紙を奪われた挙句ボコボコに殴られ、、


もうアホくさいわって。


何が根性叩きなおすや?

単にモテないお前の僻みやんってwww


悔しかったらお前も目立つポジションやってイケメソになってモテてみろやって。その努力もせずに他人を羨むだけの妬み僻みの塊みたいな人間にだけにはなりたくないと。

その時に思ったものです。


それ以上に。

そのリーダー格の輩に対して何も言わず。体罰を受ける自分に対してただニヤニヤしたりスルーしたり、、見てるだけ、、傍観者だったその他大勢の輩みたいな生き方だけは絶対になりたくない、とも思いました。自分自身の保身に走るが故に、集団に属するなんてクソみたいな人生は真っ平御免やと。


他人に対して興味関心を必要以上に持たず、必要以上に集団にも属さず、自分自身の自己研鑽を中心に考える自分の生き方は、多分この頃の経験により形成されたのだと思います。


あ、野球そのものの話からは随分それましたねw


今回はこれくらいで。

次回はもう少し具体的な野球のお話を。(いつ更新するかは未定←